宮沢賢治『雨ニモマケズ』心に響く詩から学ぶ!世に残る代表作。

『雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている』

宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」の冒頭文です。

宮沢賢治『雨ニモマケズ』

by Georgie Pauwels

宮沢賢治詩碑, 花巻市, 岩手県

とても力強く、しかしながら穏やかな一面も伝わってきます。

自然に負けることのない丈夫な体とそして強い心。

『一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず』

え?『一日に玄米を四合!?』

一合でお茶碗2~3杯はありますよね!

当時の日本はわずかな副食物で大量の米飯を摂取する食生活でした。

日本陸軍では一人1日六合もの米を食べていたので、肉体労働の農民は四合でも小食だったのがわかります。

『あらゆることを 自分を勘定に入れずに』

何が必要なのか、目の前にあるものにただ飛び付くのではなく、冷静に考える余裕と相手を想いやる気持ちは、

今も昔も変わらないとても大切なことなのだと思います。

『よく見聞きし分かり そして忘れず』

さらに文章はこう続きます。

宮沢賢治さんの没後に発見された「雨ニモマケズ」

『野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしは なりたい』

この「雨ニモマケズ」は、当時、壁材の営業に上京した際、病に倒れ、

実家に戻って闘病中だったときに使用していた手帳に記されていたもので、

宮沢賢治さんの没後に発見されたものだそうです。

この内容は架空の話ではなく、モデルとなった人物がいました。

斉藤宗次郎さんはキリスト教を信仰していたために迫害を受けていました。

そんな環境にありながら、彼は毎日、牛乳配達と新聞配達のため1日40キロの道のりを走りながら届け、

神様に祈り感謝を捧げていました。

子どもに会うとアメ玉をやり、仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。

彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく町の人々のために祈り、働き続けたのです。

詩にあるようなことを実際に行っていた人が本当にいたのです!

そういう斉藤宗次郎さんの生活ぶりを見ていた、

宮沢賢治さんは「こういう人になりたかった」という思いを込めて、

「雨ニモマケズ」という詩を書いたのではと言われています。

人並み外れた鋭い観察力と洞察力があった人だからこそ書くことのできた詩ではないでしょうか。

後世に残る代表作。

子どもから大人までが心に響く詩。毎年この季節になると思い出します。

ずっとずっと心の中に置いておきたい大好きな詩です。

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