小田原が産んだ偉人・二宮金次郎(尊徳)

『この人物から仕入れろ!』
「仕入れ、工夫の達人・二宮金次郎」を紹介しましょう。
薪を背負って本を読む金次郎の銅像が有名!ですが、実は金次郎は、封建時代である江戸時代末期に、極貧の一介の百姓から幕臣まで上り詰めた、農村復興政策を指導した農政家・思想家なのです。
二宮金次郎(尊徳) (2).jpg
戦後まもなく日本銀行券(一円札)にも描かれています。
二宮金次郎(尊徳).jpg
今回は彼の若い頃のエピソードから仕入れましょう。
● 金次郎が14歳のころ、家に一丁しかない鍬がこわれてしまったので隣家へ借りに行った。
しかし、隣家でもちょうど農作業の最中だったので、当然断られた。
そこで、金次郎は考えた。隣家の作業を手伝うのだ。そのことによって、畑仕事は早めに終わる。
「金次郎さん、ありがとうよ!おかげで作業が早めに終わって助かったよ。
どうぞ、この鍬を使いなよ」と、相手から、感謝されながらも早めに鍬を借りることが出来たのだ。
正に、相手の立場を作り、相手を喜ばせ、勝たせることによって自分の利益を得るという、
立場の達人だったのだ。

小田原が産んだ偉人・二宮金次郎(尊徳)

●金次郎は、勉強好きであった。薪を背負って毎日、毎日長い道を往復するだけでは時間がもったいない。
そこで『大学』という書物を懐に入れて、生き帰りに本を読んだのだ。現代でいうならば、通勤時に参考書を反復するようなものだろう。
これぞ同時力、時間の活用法の工夫の達人だったのだ。
●植え残りの稲が捨てられていたのを、自分の荒れた田んぼに植えていたら、秋には一俵ほどの籾(もみ)の収穫になった。そこで金次郎は悟った。
「これこそ大地の恵みだ。小さいことでも、積み重ねれば大きいものになる。小さいことを積み重ねていけば、大きいことは必ず出来上がる。
小さいことをいい加減にしては大きいことは決して出来ない」という後の「積少為大」の思想だ。これは、繰り返し反復の威力を実生活の中で見出したのだ。
●金次郎が18歳のとき、奉公先の岡部伊助の家では学者を呼んで、父子ともども講義を受けていた。
金次郎は、襖の外でこれを聞かせてもらうのを楽しみにしていた。
ある時、学者が帰った後、岡部の子供が講義の復習をしていたが、説明を聞き漏らして意味不明の箇所があった。
それを金次郎が自信をもって解説をして、岡部親子をびっくりさせ、次回の講義の内容も解説して見せた。
これぞ、金次郎の貪欲なまでの向上心、まさに、仕入れの感覚が研ぎ澄まされていたのだろう。
まるで、イチローがいう「小さなことを多く重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」を200年以上前に実践したのが金次郎だ!
「時間がない」「お金がない」などという人には、金次郎の爪の垢でも飲ませたいと感じるのは、私だけではないだろう。

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